内的真実から美へ
「ともかく私たちは
この世に生を受け、
終わりのあるそれをれの人生の只中を、
今、命ある限り、自分らしく生き抜こうとして、
様々な形で、自然と触れ合い、他者と交わり、
仕事に精を出し、多様な営みを繰り広げて、生きている。
(中略)過ぎ行く時の中で、
僅かに垣間見られたその生と世界内存在の真実は、
しかし、日常慌ただしく生きる私たちには
ともすれば見失われがちであり、雲散霧消する傾きがある。
(中略)生と世界内存在の「真実」の
作品化・結晶化の「現出」と「輝き」の結果が
「美」として現れ出るのである。
(中略)この生と世界内存在の「真実」は、
科学知の教える「客観的」真理とは異なり、
それよりもより根源的であり、
自己という「主体」が世界という
「客観的」な場の中を両者渾然一体となって生きる、
主体と客体両者の「全体」的かかわりにおいて成り立つことろに
顕在してくる「真理」「真実」「真相」である。
(中略)最終的には「自己認識」を得、
世界の中に生きる自己を定めて、
さらにもう一度高い形で起きる勇気を授けられるのである。
(中略)芸術作品はの「虚構」性とは、
嘘や架空、出鱈目や荒唐無稽の意味ではなく、
むしろ生と世界内存在の真実を「見えるようにさせる」ための、
技法・テクニック、問題設定や展開装置、一種の知的操作
のことに他ならない。」
引用:芸術の哲学 渡辺二郎著